f:Mariko Ito 的直播

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23歳で結婚。
24歳で長女を出産、
その長女は先天性心臓病で、
3歳の誕生日を迎た翌日に手術を
施すも3年2日で生涯を終えました。

私は術後の娘の2日間を、
ドラマそのものの最期の様に看取りました。
私は母や周りの家族や友人の心痛を思うと人前では涙を流す事ができず歯を食いしばってこらえていました。
その後27歳で離婚。
28歳で再婚。数年で離婚。
だから、が2つ!

生活・育児の為に弟の経営する芸能関係の会社の経理を手伝い始める。

プライベートでは2番目の娘出産。
32歳で3番目の娘を出産。
2人共に元気に育ってくれました。

そんな時、
バブル終焉に合わせるように38歳の時に弟の会社が倒産、なぜか
倒産後の会社を私が引き継ぐことに(本音はやりたくなかった)

私が任された会社を引き受けていただいた会社はアメリカNYに本社をおく、映像制作会社で、その
日本支社の大手企業の傘下に入る。私の会社はイトウオフィスとして運営し始めました。

芸能界の仕事は好きではありませんでしたが、責任感と義務感とで、
<来るもの拒まず、去る者追わず>をモットーに働いておりまいたら、気が付けば100人以上の俳優、女優、演出家、作曲家、ダンサー,声優が所属するオフィスになっていました。

某俳優養成学校の講師の依頼もあり私の勤務時間は超多忙を極め2時間睡眠で10年間働いてしまいました。

本来なら過労死していて当然のような状態でした。
やはり2001年にパニック障害で倒れ意識をなくして、身体もココロも自由を奪われました。
勿論、仕事からは離れざるを得なくなりました。

精神科を受診するも、体調はひどくなるばかりで母・義父と思春期の娘たちが私の介護をしてくれていました(いくら感謝してもしきれません)

今、思えば「薬害の被害者」だったのです。
30年間飲み続けた心療内科の薬。
その薬の明記されている副作用(リスク)の《記憶喪失》《自殺願望》
・・・はあまりにも大きく顕著に私に現れました。
それは、20年間の記憶喪失、3度の自殺未遂、10年間の植物&廃人生活。

一時は数年間植物人間の状態で6ヶ月の入院を経て、廃人の様な私を母の強い想いで退院でき自宅療養に入りました。
そして、3年程前に家族の愛と祈りと諦めない心が私に【奇跡】を起こしてくれ復活して参りました。

ドクターからは余命宣告も受けておりそのまま人生をフェイドアウトするはずでした。

しかし、今蘇ってきた人生を歩み始めて丸3年が経ち、その間、なぜ私がこの様な経験をして蘇ることができたのかをリサーチし続けております。

その過程ではありますが、日本国内での「予防医学」の認知の低さに驚くばかりで、常に情報を吸収しつつ、
現在は『リンパコンシェルジュ』として、草の根の「リンパトーク」を全国に展開しております。

私と同じ病いの方々はほとんどの患者さんが何も思いを残すことすらなく逝ってしまっています。
なのに、私は今「生きている」それも、滅茶苦茶元気!

同じような思いで苦しみ耐え抜いている方々の力に少しでもなれればそれが私の生き残っている使命と自覚しております。

・ヘルスケアーアドバイザー(予防医学相談員)米国公益法人予防医学アドバイザー免許。
・調理師日本国免許。
・NLPプラクティショナー修了。
・心理カウンセラー。