EVENT 5/24(金) 21:30〜▶🎬ソロモンの偽証 前篇・事件 無料放送!

f:Yuki Eizo Sasa キャス

00:00
  • レベル 1
  • サポーター 0
職業:撮影監督です。大阪で撮影技術・映像制作の仕事をしています。映像に携わって30年、動画で25年以上の月日が経ちましたが今なお撮影はドキドキ。常に白紙の気持ちで取り組みつつ、経験を生かしたり殺したりの毎日です。
1954年生まれですからもちろん戦後派です。ただし生まれた村は都会に比べると復興は10年ほど遅れていたようで、子供の頃はまさに「ものの無い時代」でした。
小学校5年生で町に引っ越してきてはじめてチーズやダイヤブロックを知りました。そして家にテレビと冷蔵庫が置かれたのも5年生の時。
子供の頃の父の乗り物はヤマハのモペットとダイハツミゼット、そしてスズキのキャリー。すでに時効なので白状しますが、小学校2年生のときに父に教えられて単車を乗り回し、4年生では車も自在に運転。駐在さんに「気ぃ付けて乗りや~」と励まされて・・・・(笑) 単車や車が有ったのに、冷蔵庫は無し。そんな子供時代を過ごしました。
学生時代に深沢七郎さんに出逢ったことは人生の節目だったかな。太宰治・新田次郎・渡辺淳一・三浦綾子・筒井康隆・西村寿行など愛読。
愛車はMAZDA FAMILIA RSとMMCのデリカD:5
以下のプロフィールはいささか曖昧な部分もありますが、概ねこれまでの生き様ということでしょうか。
23歳の時に店舗ディスプレーの仕事に就きました。陳列デザインです。その後新聞の募集欄で見つけたCMフォトのスタジオに勤務。面接で持参した履歴書の自己PR欄は欄外3ページでした。履歴書が最初のCMだと考えたからです。そのスタジオで広告写真に没頭。フリーとしてスタジオを離れるも、仕事が少ないだろうと気をつかってくれた師匠(社長)からお呼びがかかって再びスタジオカメラマンとして勤務。しかしその恩を仇で返すように名古屋のスタジオに移籍。当時の同僚は今、東京・名古屋にスタジオを構える業界団体の重鎮。それに比べて私は・・・・トホホな人生。
その後広告写真の世界から離れ、ロック雑誌の撮影を行いつつネイチャーフォトの世界へ。三児と妻を放ったらかしにして四国や北海道、北アルプス、八ヶ岳などを徘徊。友人たちの助力で幸いカメラ雑誌や登山関連雑誌、植物のマニア雑誌などに掲載いただけました。
しかし飽きっぽい性格なのか、当時流行り始めたマウンテンバイクに魅せられてしまいまます。やり出したらとことんという性格から、自転車の組み立てにとどまらずフレーム設計にも挑戦。当時作ったオリジナル自転車はMTBが5台、ロードレーサー6台、シクロクロス2台、BMXが2台など等。ついにサイクルショップを始める決心を固めます。このとき競輪界で有名なフレームビルダーのOさんに出会います。
開店にあたってオーナーがツーリング経験無しというのは具合が悪いと考えてシクロクロスに乗って北海道2周の旅に出発。
ところが、ところが北海道2週目に衝撃のカルチャーショック。音の出るメディアのカウンタ^パンチ。自転車店は断念して動画を生業にしようと決心。まさに行き当たりばっ旅な人生。
そしていつの間にか今の撮影技術会社も創業から25年を過ぎました。バブル~バブル崩壊、ITバブル~ITバブル崩壊etc.
よくまあここまで来れたね、この仕事をやってなければ三児全員を大学へやれなかったねと家内。二人で相槌をうつこのごろです。おかげさまで大手企業やTV局のバラエティー、報道、そしてメジャーアーチストの中継なども手がけさせていただいています。まさに人との出逢いがもたらしてくれた賜物と感謝しています。