f:Nakagawa Tsuneo 的直播

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Nakagawa Tsuneo @f:100001291136493
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ご訪問ありがとう御座います。

<生い立ちから・・・・・>
生まれは、三重県名張市。
生まれてすぐに、父の仕事の都合で、岡山、福岡、広島と
小学校時代転々とし、実家である広島県福山市で育つ。

この時から、なかなかしゃべることに、言葉のなまりなどに
馬鹿にされ、表現することに悩んでしまう。
兄弟は、3人兄弟、男だらけ(笑)。
母は、いつも料理については量で勝負するようになる。(ホントか??笑)味は二の次・・・・・。夏のそうめんは、テーブル山盛りだった。
そのせいか?今も学生飯だとよく言われ、現在も御飯大盛りは当たり前の食生活。

学生時代は、ラグビーに目覚め、広島県福山市にてスクラムハーフとして、3年間奮闘する。

このとき、ラグビーを通じて学んだことは、今にも生きている。
ALL FOR ONE ,One for ALL
みんなは、ひとりのため、ひとりは、みんなのため。

簡単な事ではあるが、ラグビーのノーサイドという、試合終了の考え方。

アフターマッチファンクションという紳士的交流などなど。

このとき、小さなときから、仏教の教えに自然と関わってきた環境とが、結びつき今の自分のこころの精神が備わったと考えている。

<現在までの仕事について>
高校卒業してから、先生や親、周りの反対を押しのけ、
あえて就職するという事を選択する。
尾道から見える因島の日立造船情報システム株式会社へ
造船設計を目指し、一発内定をもらい就職する。

(今考えれば、ただ単にひとと同じ道を行くのが嫌だっただけなのかもしれない。)

しかし、この時代の造船業界は極めて困難な状況に進みつつあるとは知らず、造船から橋梁設計へ転換するとき、設計の仕事は減っていっている状況であった。そんな時、日立造船は杜仲茶の販売を手がけることに・・・・
経営とは大変なものとは知らず、それならいっそのこと、
自分で何か商売でもやってやると奮起し、会社を辞め、友人を訪ねて
あこがれの大阪にやってきた。

そこで、時代はバブル全盛のころ。
遊びや車、夜の仕事など・・いろいろ仕事を探し、ある店舗経営について大変興味をもつ。
レストランとアミューズメントが一緒になったプールバーである。
その店舗に入り、バイトしながら店舗経営の魅力に取り付かれる。
そして、ある提案を21歳の若造は、オーナーに突きつけた。
「プールバー」と「たこ焼き」に特化した店舗経営^^。
それで、なんとオーナーは、私に店舗経営を譲ってくれたのだ。
保証金を親から借りてきて、スタートさせた「なにわのたこ焼きと撞球場」。これがなんと、以後13年間、毎年、前年度130パーセント増の売り上げを作り出していった。しかし契約面での整理をほったらかしにしていたため、止む無く閉店に追い込まれる。

その時、開発してきた商品が売れなくなることより、どうにか売場が作れないものか、かつ、家賃の掛からないブース展開を考え付く。
また、ビリヤードにおいては、教室のカリキュラムを考案し、
スクール事業を目論んだ事業展開を進めていく。
(今もプロの方々にも通用すると思われるスコアリングシートも
考案いたしました。)

この時から考案したブースからリアカー→自転車カートへ視点は
変換していきました。

今ある携わっている会社のタウンカートビジネスは、
行商スタイルでのマーケティング部門があります。
現場では、運営に関して「笑顔」「楽しさ」そしてより深い「信頼関係」の構築を目指して、日夜タウンカートで、街の賑わいづくりのお手伝いをさせて頂いております。
最終的には、顧客の方々が喜んで頂かなければ、何も生まれません。
いろいろなご提案や企画を通じて、皆様へお力添え出来ますよう
精進してまいりたいと存じます。
よろしくお願い致します。




このタウンカートについてのお問い合わせは、会社のHPから
お願い致します。www.otcs-inc.com

 

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