f:Makoto Takahashi's Live

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Makoto Takahashi @f:586507828163317
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はじめまして、高橋誠と申します。

宮城県登米市で、デリシャス王子として活動しております。

美味しいお料理を囲んでのランチ会、雰囲気のあるお店でのお茶会などを企画、非日常を体験できるような企画をしております。




その他の活動内容は、支援事業です。

【share-project わかちあいプロジェクト】

現在、賛同しているプロジェクトで、支援と資産保全を同時に推進する事業です。

2015年10月のフィリピンツアーに参加、教育を受けれない子供たちへ支援を行いました。

子供の笑顔は世界共通ですね。
希望に溢れています。

今後は、フィリピン以外にも世界各国、もちろん国内にも支援を広げていきます。




過去に離婚を経験し、一度人生の底を見たように思います。

2年間の交際を経て、結婚しましたが、1年半で離婚しました。

妻からイビキがうるさいと言われてたので、鼻や口にテープを貼ったり、減量して対応しましたが、効果は無かったです。

病院にも行きましたが「異常無し」という診断で、治療の施しようがありませんでした。

しかし、妻の「イビキがうるさい」というのは、断片的な言葉だったかもしれません。

料理や洗濯や掃除を手伝ってましたが、気にくわない部分が多かったのだと思います。

オッチョコチョイで、よくミスを犯してましては、妻に呆れられてました。

妻の顔色をうかがうようになり、次第に会話をする時間が減っていきました。

そして、離婚届に判を押しました。
結局、僕のどこが気にくわなかったのか、聞き出せませんでしたね。




その後、彼女ができましたが、次第に僕が自己投資に夢中になっていきました。
それが彼女にとって、不安材料になり、離れていきました。




僕は女性を不幸にする人間なんだと思い、自分を責め、荒れていきました。

何のために生きているのか、わからないのです。

職場や地元から、公にしないように、圧がかかっていたので、周囲にバレないように必死でした。




そうこうしている中、自己投資を始めて、色んな方と出逢う機会が増えていきました。

色んな思想や価値観に触れていくことで、次第に前向きになれる時間が増えていきました。

今の自分があるのは、そんな方々の支えがあるからです。

今でも、支えてもらってる部分が多いです。

家族のように接してくれる方もいます。

そんな方々に、少しでも恩返しをしたい。

これから出会う人には、笑顔になってもらいたい。

そのような思いが芽生え、何か活動をしたいと思い、10年以上従事してきた製造業を辞めました。




share-projectは、そのキッカケです。

支援でフィリピンツアーが企画され、どうしても僕は行きたいと思ったわけです。

突き動かされたものがあるのです。理屈ではありません。

直接肌で感じるフィリピンは、自分の常識が通じませんでした。

風、地面、空、匂い、食べ物、常識、目つき
その全てが、初めて感じるものでした。

ツアーでは、バコロドを訪れましたが、自治体から手厚い歓迎を受けました。
警察の護衛も付きました。

TV出演、文房具や食糧の支援、最貧地区訪問、子供達とのふれ合い、チャリティーバザー、火災の被害者への援助

それ以外にも、学校や病院の建設も計画してます。

活動の中で、いかに日本が恵まれているか、気づかされました。
支援をしているけど、逆に心を満たされる感覚もありました。

そして、人に対する、ありがたみが増しました。
僕に関わってくれてる人達への感謝の気持ちが溢れていきました。

ツアーの前後で、僕のありがとうの重みが変わったと思います。

僕の才能を見出して、指針を示してくれる方と出逢ったので、その方と共に、1人でも多くの方に笑顔をお届けしたいです。

そのために、色々な企画を試みたいと思います。

こんな私ですが、よろしくお願い致します。




下に経歴を記載しておきます。
何かのお役に立てるかもしれません。

2001年 山形県長井市 株式会社マーク
開発部
 サファイヤ製造プロセスの確立、サファイヤ加工に従事
技術部
 プラスティックレンズの金型加工
 マシニングセンタ、NC旋盤、ワイヤー加工、放電加工を習得。
 金型加工と共に、図脳rapidやCAMも習得。

2011年 宮城県栗原市 株式会社倉元製作所
新事業開発部
研磨プロジェクト
 ガラス研磨で使用され、そのまま破棄されていた酸化セリウムを再利用するプラントの立ち上げ。
自動検査機プロジェクト
 サポイン事業で、液晶用ガラス表面欠陥の検出と分類を行う自動検査器の開発。
 電気配線やシーケンサーのプログラミングを習得。
圧電プロジェクト
 圧電フィルムの分極や、徘徊防止用マットの製造を担当。

2015年 9月 株式会社倉元製作所を退職
 現在に至る。